花うつ

花子28歳独身。パワハラによるうつ病に悩まされ、リストカットにまで追い詰められた。でも、うつ病は必ず治る、私なりの独自の治し方で、うつ病と向き合っています。うつ病に効く食材を使った料理紹介や小説も公開予定です!現在はフリーライターとしても活躍中。お仕事依頼もよろしくお願いいたします。お仕事依頼は、south1989.1322@gmail.com まで!!小説家志望ですので、いつか本を出せたらいいなと言う野望も持っていますw

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うつ病の私がジョン万次郎に学ぶ

こんばんは、花子です。

今日は体調が悪くて、ブログを書くのが危うかった。。。

なんとか書いております。

 

 

さて、今日のタイトルは馴染みがなく首を傾げている方も多いかも知れません。

私が通っていた高校は、進学校とは程遠いやんちゃな人たちが多い高校でした。

だから勉強に興味のない人たちばかり。

そんな環境で、英会話の授業がありました。でも、眠ってしまう人や携帯をいじる人がいて先生も悩んでいたんだと思います。

そんな中で、先生が模索してジョン万次郎という人の話をしました。

 

歴史が苦手な私でしたが、その話だけはすごく興味津々になってしまって。

 

それを今日、なんか思い出しました。

思い出していろいろ調べなおしました。そしたら、学べるところがたくさんあったのです。

 

ジョン万次郎とは

ジョン万次郎は、1841年に船で一緒に船に乗っていた仲間と遭難。無人島に仲間たちとともに漂流。無人島で半年過ごすことになります。その後、アメリカの船に助けられます。しかし、日本は鎖国中。助けてもらった船は、日本に入ることはできません。仲間たちは、途中のハワイで船を下ります。

その後、ジョン万次郎は船長に気に入られて捕鯨船に乗る仕事をするようになります。

そして、その後、金塊を掘る仕事に就いて、資金を貯めた後に日本に帰国。

帰国後はペリーが来た時などに、通訳をする仕事をしていました。

つまり、ジョン万次郎がいなければペリーとの交渉はできなかったのです。なかなか表だって歴史ものにはでてきませんが、日本にとって重要人物だといえます。

 

●その勇気は、歴史上、稀なんです

ジョン万次郎は、14歳で異国の文化に触れました。仲間たちと別れ、人種差別にあった経験もあるといいます。

しかし、そんな中でも生きようとジョン万次郎は賢明でした。

きっと食べ物だって違ったし、もちろん最初のころは言葉も通じない。

その中で、勇気ある行動がなければ彼にジョンと名付けた人はいなかったでしょう。

最終的に、惜しまれつつ日本に帰ってきたのです。

ジョン万次郎の勇気がなければ、私たちの現在の生活だって違っていたかもしれないのです。

 

うつ病の私がもらったもの

なんで、ジョン万次郎に学ぶのか?疑問に思う方もいるかもしれません。

言葉も通じない、すべてが初めての経験の中で、日本人が誰一人経験したことのない経験をしたジョン万次郎が生きたというところなんです。

生きるために、悩むよりも行動するしかなかった。

私の病気はうつ病で、悩みや不安が多い毎日です。そんな中で、行動するのも大事なんだと思います。

生きるって意識して、勇気を振り絞って生きるのも、もしかすると生きるのに大事で治療になるのかなって思います。

私は、もらいました。ジョン万次郎に勇気や生きるってことを。

 

●まとめ

すみません。無理やりつなげているかもと打つ手を止めたんですけど。やっぱり学ぶところも、沢山ありましたので更新します。

正直、落ち込んだときにジョン万次郎の生き方を思い出すと元気が出るんです。

だから、ちょっとブログにしてみました。

人の勇気ある行動は、知らない人を強くしている場合があります。私がジョン万次郎の歴史をみて、そうだったように。

だから、私もいつかはそういう人の生きるきっかけを作れる人になりたいなとおもいます。

こんかい書いたのは、ジョンマン持論のほんの一部の歴史です。もし気になる方がいましたら、調べてみるのもお勧めです。